おじいさんの足音
年末です。
皆さん風邪などひいてませんか?
大忙しで体調崩してないですか?
今年は皆さんにとってどんな年でしたか?
この1年、色んなことがありました。
先週、メガネさんのおじいさんが亡くなりました。
83歳。事故でした。
私とおばあさんはお留守番をしていましたが、家族はみんなギリギリおじいさんの最期に間に合いました。
きっとあっという間の出来事で、痛みを感じる暇はなかったという話でした。
私にとって、いわゆる“おじいさん”というのは、父方のおじいさんだと・・・まずアル中で(笑)、母親が介護をしてたのですけど嫌がってる気持ちがチラチラ垣間見えて、何と言うか・・・全く好意も持てず、打ち解けられませんでした。
母方のおじいさんは、何度もこのブログで登場してますが、まあワケわからないし、よく怒るし、正直言って嫌いです(キッパリ)。
そして、メガネさんのおじいさんは、これもしつこいくらい書いてますが、私が引っ越してきたその日から、えらいこと可愛がってくれたんです。
なんでこんなに可愛がってくれるんだ?っていうくらい。
野菜そんなに食べられないけど、思わず全部もらってしまうくらい、その愛情に感謝してました。
それにとても元気で、いつでも母屋か畑にいるので、家だとか、木だとか、“変わらずそこにあり続けるもの・人・景色”だと思っていたんですね。
それってとても安心するんですよね。
ああ、孤独じゃないってこういうことか、と。
だからとてもおじいさんのことが大好きになって、ジュニアを元気に生んで喜ぶ顔を見たいなって思ってたんです。
おじいさんも「早く出ておいで~」って笑ってたし。
間に合いませんでした。
残念。
お葬式の前にお母さんが喪服を貸してくれて、
膨らんだお腹がギリギリ入った姿を鏡で見て、
てっきり喪服を着ることになるのは自分の
母親か母方の祖父のお葬式で、
おじいさんのお葬式で着るなんてまだまだ先のことだと思っていました。
1週間経っても、風でシャッターの揺れる音が聞こえる度、おじいさんかと思います。
家の前の道を歩いてる人影を見ると、おじいさんかと思います。
メガネさんが、
「最期に交わした会話が、いつもの会話すぎて、何だったのか覚えていない」
そう呟いていたのが印象的でした。
そうか、これが家族を失うってことだったのか。
当たり前の、心が寛ぐ景色の一部が、消えてしまって寂しくてたまらない。
自分の家族と話す時や関わる時は常に、
「これが今私に出来る精一杯の譲歩だから後悔はない」
「だからいついなくなってくれて構わない」
そんな緊張状態を抱いてきた私にとって、
今感じているこの寂しさは未知の感覚で、
きっとメガネさんやメガネ家のみんなは
もっともっと寂しさが大きいんだろうなと思います。
みんな、「ひょっこり帰ってきそうだね」と笑います。
あと2週間弱でジュニア帝王切開。
この子の細胞は、ほとんどがおじいさんの野菜でできています。
元気で生まれて来るんだよ。
★今日の幸せになるヒント★
“『カブの葉も食べんといかんよ』”